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2017.08.29
本店
誕生までの歴史
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- 田むら銀かつ亭 概要
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1972年
(昭和47年)4月 田むら銀かつ亭開業 個人事業主 田村音松 1990年
(平成2年)二代目田村洋一 日本橋「伊勢定」 浅草料亭「婦志多」修行後、家業に就く 1993年
(平成5年)4月 田むら銀かつ亭新装開店。多種類あるメニューの整理を図る 1995年
(平成7年)オリジナルメニュー「豆腐かつ煮」販売開始 2006年
(平成18年)6月20日 法人化 「株式会社田むら銀かつ亭」設立
役員 田村音松、代表 田村洋一2007年
(平成19年)田むら銀かつ亭 リニューアルオープン
- 「田むら銀かつ亭」命名秘話
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初代田村音松は栃木県出身、農家の出である。
17歳より東京にて料理の修業を始める。43歳の時、旅館「銀水」勝俣社長が営業していた、「銀かつ亭」(銀水の「銀」と勝俣の「かつ」をとり「銀かつ亭」)を国際興業「強羅ホテル」にて厨房に立っていた時に、大野総支配人に出店を勧められる。事業所は立地条件が悪く「銀かつ亭」も閉鎖状態だった。
音松は小料理「田むら」を希望したが、勝俣社長より店名「銀かつ亭」を残す事が条件となる。「田むら銀かつ亭」の誕生である。
小料理屋として、和食の職人らしい献立を出し知る人ぞ知るお店として集客を伸ばす。 しかし、当然店名から想像つくが「とんかつ屋」としてのイメージが定着し和食の職人として悩む日々が続くが、お店の開業から営業の好成績まで尽力を発揮した、音松の愛妻「かずえ」の一言でとんかつ・焼き鳥・鰻・季節の一品料理ありの「とんかつ屋」として心新たに再出発。
二代目田村洋一はそんな両親の背中を見て育ち、料理人の道へ修行に出る。働き過ぎがたたり、両親とも倒れ、洋一やむなく帰郷する。
3年後、銀行等より融資を受け新装開店を果たす。高齢化社会に向け、とんかつ屋はきびしいと考え数々の献立を思案する。
- 「豆腐かつ煮鍋」
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そんな時、「銀豆腐」にて世間話をしていた時、ふと厚揚げ用の豆腐が目に止まり、 (「銀豆腐」店主との仲は初代田村音松より続いており、商いだけの付き合いではない。)「豆腐かつ」を献立に加えるが、あまり評判は良くなかった。
当時、母かずえは年のせいもあり歯を悪くしており、毎日おじやおかゆの生活を強いられていた。そこで、「豆腐かつ」をカツ丼風にして母に出すと、大変喜びメニューに加える事になる。
早速、「銀豆腐」の親父さんと試行錯誤が続き現在の絞り豆腐が完成。